創業120余年 現社長4代目の
老舗の葬儀社です。社長・大奥様・専務(社長夫人)・事務員2名・作業員女2名・男性社員3名
合計10名の会社でした。
当時の宇都宮市の葬儀形態は何社か自社セレモニーホールをもっていましたが、80%は自宅葬の時代です。
花環(パチンコ店によく飾ってあるもののお葬式バージョン)は毎日注文があり、荷台の屋根が高くなっているトラックで栃木県内の自宅で葬儀をしている所に配達(花環を立てる)に行ってました。その間に、宮型霊柩車(キンキラ金のお寺に竜が屋根についた荷台のアメ車)が他の葬儀社から運行の依頼があり、火葬場まで運転手をしたり、自社で葬儀の依頼があると、病院へお迎えにいき自宅安置・枕飾り後打ち合わせ、会社に戻り祭壇、幕、矢来、提灯、6尺・4尺の机類、香炉類、パイプいす、ドラム、ライト、テント、受付用具、金庫、など・・・トラック2台に積み込んで、自宅で葬儀が出来る準備を整えます。
現在の葬儀社の社員のイメージとは違い男性は、ほぼ筋肉質でタフな野郎のイメージです。社員同士の忙しい時の会話は、まるでヤ○ザです。
昼食時にビールを飲んでいる姿は特別でもなんでもありません。その環境は今まで働いていた職場とは180度変わりましたが、頭を使う部分もあり・体力は限界まで使い、オーバーですが生きてると実感できるものでした。
入社して3か月の頃には、この仕事は自分で経営したいと思うようになっていました。
この業界に入ってみて死とみつめあう職業は奥が深い色々と学ぶ事がたくさんあり、一長一短(良くも悪くも)すぐには当然無理でしたので、じっくりかまえて修行していこうと思った時期でもありました。
「ピイピイピーイ」あれ!検問だ
葬儀社に入社して無我夢中で先輩社員についていき、だいたいの流れの仕事ができるようになり、任される事が多くなってきたその当時
今では考えられない業界の出来事です。(もう何十年も前の話ですので時効でお願いします)
社長から夜9時ごろ電話が入り、「○○病院へのお迎えです。葬儀の依頼です」
今のように当直体制は、ほとんどの葬儀社はとられてないのが現状だったと思いますが、社員が夜間など呼び出しで業務をこなしていたのです。
その日は夏の時期で、通夜も入ってなく5時半には仕事を終え自宅に帰りビールが、おいしい事、おいしい事
ぐいぐい進み、ほんわか気持ち良い状態でした。そんなときの社長からの電話です。
「社長!今日は無理です かなりビール飲んでしまいました」
「わかった 他、電話してみる」
何分後
「誰も連絡つかない 俺(社長)も今日は専務も誰も居ないので電話番で動けない」
「・・・・・わかりました」
その頃の搬送車(病院に迎いにいく車)は葬儀の時の霊柩車兼用でしたので、誰がみても夜の霊柩車は死、お迎えだとわかるものでした。
あっ終わった検問でおまわりさんに止められたのです。
すぐに、おまわりさんは気ずいたと思います。
車の窓は三分の一しか開けることができませんでした。 沈黙が5秒ほど続く「とても長い5秒に感じました」
「ごくろうさま」おまわりさんからの意外な一言 ハイいっていいですよ
古き良き時代、現在では絶対ダメです。アルコールチェックは必修です。飲んだら乗るな、でもちょっとだけ許された時代だったのでしょうか?
「自宅で亡くなりました。何時頃きていただけますか?」と電話が入りました。
自分にも後輩が出来て、二人で行こうかと向かいました。
自宅で亡くなると、死因解明の為、検視がはいりますが死因は自殺でした。男性です。
奥様がいらしてましたので、ご愁傷さまでございますと頭を下げ、処置をさせて頂いてもよろしいでしょうか?そのあとに今後の葬儀の打合せをさせてくださいと言葉をかけ、別部屋にてお待ちいただくよう頼みました(ドライアイスを体に当てるのは、あまり遺族には見せたくない配慮から)
後輩が検視後なんで裸ですよね?浴衣に着せ替えしましょうか?と上掛けの布団取って自分は浴衣の準備をしていたところ、先輩着てますよ大丈夫ですと言いました。
その何秒後かに「クスクス」と小声の笑い声が小さく聞こえてきました。
何、どうしたの?ダメだべ 見ると浴衣は着てるし首元にあとが残っている神妙な雰囲気なのに
先輩ちょっと外で話いいですか?
「すみません 着てる浴衣見てください、奥さんが着せたのですよね」
「ふうてんの寅次郎の男はつらいよなんです。それも全体に男はつらいよの文字がたくさん」
「自殺ですよね?で、奥さんそれ着せますか?」
その風景が脳裏に入ってきちゃってつい・・・・
それを聞いて、まっ でも忘れてドライアイス当てようか と戻り当てようとした瞬間、やっぱり「男はつらいよ 男はつらいよ 男はつらいよの文字が」
速攻で外にでました。
すみません笑っちゃいけないのですが笑ってしまいました。
エピソードは沢山ありました 葬儀社修行時代は楽しかったり、驚いたり、感銘して泣いたり、苦しかったり
10年間の修行生活でした。お世話になりました○○葬儀社関係者一同様 本当に感謝いたしております。